リスブロ!

大阪、近鉄河内松原駅前にあるリスウゼミ+医学部個別メディスタのブログ。基本、代表OZが書いてます。

【センター試験】マークシート形式の数学の裏技?!

おはようございます。
リスウゼミ代表の尾崎です。 

 

マーク形式の数学の裏技?!

こんな記事が流れてきましたので読んでみたら結構面白かった。

 

 

うーん。センター試験に限って言うと、数学はまだマシじゃない?ルートの中身があたったところで全部あってないと◯にならないし。

例えば2014年数学ⅠAの問題では

f:id:risusemi:20151201234940p:plain

オだけ当たっても点数がない。イ,ウ,エ,オの全てが合って初めて点数になるんだから。あくまでもちゃんと計算して答えを出してその数字を塗るということをしなければならないわけで。先に答えを含む選択肢があってその中から選べっていうタイプじゃないからねぇ。

 

でもって、この記事中に書いてある裏技を使いこなすのはある程度の能力と演習が必要。「具体化して予想して絞り込む」っていうのは「場合の数・確率」や「数列」といった離散量を扱う問題では超重要。「整数問題」でも必須の思考法だし。裏技でも何でも無く正攻法じゃんか。

 

それに対して他の科目は先に答えがあって、その中から選べっていうタイプだから、謗りを免れないのはそっちのような気がする。例えば、2015年英語の問題では

f:id:risusemi:20151201235649p:plain

 

英語を全く勉強してなくても確率1/4で当たっちゃうわけで。でもって、第108回医師国家試験の問題では

f:id:risusemi:20151202001057p:plain

確率1/5で当たっちゃうわけで。

 

 

マーク式や穴埋め式だからダメで、記述式だから(・∀・)イイ!!っていうわけじゃないんじゃない?

マーク式でも思考力を養うような良問はあるし記述式でも「なんだこれ?」な悪問はある。マーク式やら穴埋め式やら竪穴式やら記述式っていうのは、あくまで解答形式にすぎないわけで、問題の難易やら良し悪しやらとはほっとんど関係ないと思っとります、ハイ。

京大の物理なんか誘導付きの穴埋め問題だけど、ほんと頭鍛えられる良問だよ。大事なんでもう一度言いますが、解答形式と問題の質は関係ないんじゃないか?

 

 

ちょっと話が脱線します。

「そもそも大学入試なんかで真の学力や頭の良さなんて測ることは出来ない。だからやめちまえ!」なんていう意見も聞くけど、今のところ現実的な代案を聞いたことがないのが残念でならない。超投げっぱなしジャーマン。あと、「実用的ではない知識を試験にしてどーすんだ?」という批判もよく聞く。たしかに古文や漢文なんて一生使わない人のほうが圧倒的に多い。

ちょうちょをてふてふって一生書かないと思う。英作文はあっても古作文はしないしね。何かの間違いで平安時代とかにタイムスリップしない限り。「ねぇ!今日は何年何月何日ですか!!」『フォフォフォ、お主は何を言っておるのだ?』みたいな事態にならない限り。

漢文もそう。なんで昔の中国の酔っぱらいのおっさんが詠んだ詩なんて理解しなきゃなんねーんだよ?

役に立つ知識をもっているかで測りたいのなら、医学部入試では応急処置とか心電図の見方とかを出せばいいし、法学部入試では六法(憲法民法・商法・刑法・民事訴訟法・刑事訴訟法)や有名判例とかを大学入試で出題すればいい。商学部では簿記やバランスシート、統計学についての出題をすればいい。

 

 

「役に立つかどうか」というモノサシは不適切。

でも、そんなことしてしてないでしょ?学問ってのはそもそも「役に立つかどうか」というモノサシで測るもんじゃないからです。国語算数理科社会はあくまでも「頭を鍛える」ためのツールにすぎない。私自身、数学と化学の講師ですが、数学を教える、化学を教えるというスタンスでは教壇に立っていません。数学「で」教える、化学「で」教えるというスタンスで授業をしています。

 

太宰治パンドラの匣っていう単行本にある「正義と微笑」に私が大大大好きなセリフがある。

 

「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。

代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。

 

日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。

 

カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。

 

学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ

 

これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。

そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。

ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

 

たしかに大学入試で「真の学力や真の頭の良さ」は測りきれないかもしんないけど、少なくとも「受験生の熱意」は測れてる。

大学受験勉強を通じて明らかに鍛えられている能力もある。論理的思考力(◯◯だから△△だ。その根拠は◇◇だ。と説明できる力のこと)であったり、暗記能力であったり、タイムマネジメント能力であったり、セルフコントロール能力であったり。

だから、大学受験全てが無駄というわけではない。大学受験生はそれを肝に命じて学問に取り組んで欲しいと心の底から切に願う。 

 

 

 

パンドラの匣 (新潮文庫)

パンドラの匣 (新潮文庫)

 

※ この太宰は好き。清々しい気持ちになる。